現代の生き方のヒント
「PLOTTER MAGAZINE」
[Interview No.003]
さまざまな世界において活躍する「PLOTTER」の行動力は創造性に溢れています。
「PLOTTER MAGAZINE」は、彼らの考え方や価値観を通して、過去から今までの歩みをたどり将来をポジティブな方向に導く変革者たちを応援します。
私たちが創るツールと同じように、ここに紹介する「PLOTTER」の物語が、みなさんにとってのクリエイティビティのヒントになれば幸いです。
3人目となるInterview No.003のPLOTTERはイラストレーターの「Mariya Suzuki」さんです。
『ごまかさず、“今”の自分が素直にいられるよう、 柔軟に進化・変化をしていきたい。 ゆがみのあるラフな線描のように。』
「小さい頃から絵を描くことが好きだった」。 PLOTTER MAGAZINE で取材をさせていただいた クリエイターたちの多くは、幼少期のエピソードを語る 前置きとして、そう話す。しかし、意外と多くの人がどこ かを機に、他者や種々のカルチャーに影響を受けたり、 自身のなかで転換をし、絵を描く才能を “生かし” たり、 別の何かを作る仕事に携わったりする傾向にある。
逆の言い方をすれば、そのまま絵描きになるという人はど ちらかというと少なく感じる。今回ご登場いただくイラスト レーターのMariya Suzukiさんはピュアリストだ。彼女は ずっと絵を描き続け、「物心ついた頃にはアーティストに なると思っていた」というから驚きである。
普通、人生の決断は早々にはできない。仮にできたとし ても、年を重ね、自分自身も社会も変わるのと同時に、 価値観が変化する。その理由は、恐れを払拭するために 妥協点を見つけながら生きるからだろう。
Mariyaさんと話をしていて感じるのは、ブレないマイペースさ、 そこから生まれる強さ、こだわり、絵が好きであるという 熱さをもっていることだ。おそらくそれは、幼少期から何も 変わっていないのだろう。
―― Mariya さんのイラストの特徴は無垢さというか、 ラフなゆがんだ線描が醸す独特な雰囲気かと思います。 そういった手法がどうやって生まれたのかをまず教えてください。
私はカリフォルニア州のロングビーチで大学生時代を過ご し、アート、イラストレーションを専攻していました。もちろん、 大学なので水彩も油絵も学び、イラストレーションに関し ても点描などのいろいろなスタイルを勉強しました。
スケッチが生活の大切な一部になりはじめたのは人物 画の授業を受けたとき。以来スケッチブックを持ち歩 くのが習慣になりました。スケッチやスケッチブックは “練習のもの” という先入観がどうしてもつきまといま すよね。それらは作品とは呼ばず、そこからさらに磨 き上げられたものが素晴らしいんだ、と。でも、いろ いろなアーティストや作品と出会う中で、観る人によって は “未完成” かもしれないドローイングが “完成” で もいいんだ、と気付けたことが今のスタイルにつながっ ていると思います。
展示を観に行っても、私自身の心に一番響くものは、 今にも破れそうな紙に描かれているラフなスケッチ だったりします。こうして今線画を描いているのは、“線” が落ち着くというか、線という形が私の素直な 反応だから、と感じます。
――確かに、日本では、額装され、美術館にちゃんと飾 られているものが素晴らしいという価値観が植えつけられて しまっているような気がしますね。
でも、要素が少なくてミニマルなものの方が、表現するこ とが難しいと思うのです。ごまかしが利かないというか。 個人的には、そういう表現をいつも目指して練習していき たいと思っています。
――そもそも、なぜ留学しようと思ったのでしょうか。
まず、絵を描きはじめたのは両親の影響がとても大きい ですね。父は教師をしていたのですが、教師になる前は 絵本を専門にしている本屋さんで働いていて、時々、 絵本を持って帰ってきてくれていたんです。一方の母 はピアノの調律師をしているので、いろいろな物事に触 れられる環境で育てられたと思います。
これをやりたいと言ったら何でもやらせてもらえました。 本当に幸せだったなと、今でも実感していますね。二人 とも、幼い私がアーティストを志していることを当時から喜ん でいたと思います。
留学に関しては、昔から洋画をよく観ていて、旅行で 行ってみたいというより、そのシーンに出てくる場所に 住みたいという気持ちが漠然とありました。 中学生の ときに高校生になったら海外に行きたいと両親に伝え たところ、躊躇なく背中を押してくれたんです (Mariya さんは高校時代にも1年間だけ留学をして いる)。 そのおかげで本当に良い経験ができたと思って います。
――ご両親のおかげで、逸れることなく望んでいた道に 進めたわけですね。
そうですね。とても感謝しています。
――では、現在の拠点を地元でもなく、憧れの土地だった アメリカでもなく、東京に据えたきっかけを教えてください。
アメリカの会社はイラストレーターをインハウスで雇わない んです。インハウスで働けたとしても私には合っていなかった だろうし、その上、ビザの関係もあったので戻らざるを得 なくなってしまい、ひとまずは帰ろうと。そこから、はじめ は地元に戻りました。
母が調律を担当しているライブハウスのオーナーさんが私 の絵を気に入ってくださって。アルバイトをしながら、その お店のフライヤーを 3ヵ月に一回くらいのペースで描きは じめたのが日本でのお仕事のスタートです。それと同時 に、何曜日には必ず絵を描きにどこかへ出かける、とい うことが習慣になりました。毎日1枚以上絵を描いて更新 することを目標にしてInstagramも始めました。
当初はアメリカの友人に対する近況報告のつもりだったの ですが、続けていくうちに徐々にフォロワーが増えていき ました。そんな折に、東京在住の海外のイラストレーター 数人と Instagram を通して出会いました。「TOKYO ART BOOK FAIR」に出展することを伝えると早速 会場に来てくれて、その後も連絡を取り合ううちに、東京 においでよと誘ってくれて・・・。
東京にはずっと住みたいと思っていたので、良いタイミング かなと思い、拠点を移しました。それから彼らの後押し もあって、いろいろなイベントに行ったり、個展を開いたり して同業の友人が増えていきました。その友人が私のことを私の知らないところで話してくれたり、クライアントに なりそうな方を紹介してくれたりして、輪が広がっていった のです。本当にたくさんの人たちに助けられました。
――アーティストがアーティストを敬うことは多いと思います。 この案件は自分のテイストじゃないなと思ったら躊躇なく 推薦するような。
それぞれが個性、違うスタイルをもっているので、競合に ならないのかもしれないですね。
――それもこれも、身体、手を動かして描き上げるイラスト レーションだからこそかもしれませんね。 これからやってみたいことはありますか?
輪が広がってきて、仕事も充実してきたことはとてもあり がたいことなのですが、忙しい時期が続いたので、少し ゆとりを作り、考えて立ち戻ったり、仕事とは違う面白い ことをやってみたりしたいと思っています。
アーティストは人気が出ると、ある一定の作風を求められ たりしてしまうんですが、アーティスト自身は常に変化し ていると思います。その作風からズレた時、第三者はどう して変わってしまったんだろうと思うかもしれないけれども、 きっとそれで良いのです。ちょっとずつ進化・変化しているから、流行りが廃れた頃には前のことはもうやっていな いかもしれない。自分もそうありたいと思っています。
――最後に、Mariya さんにとって「PLOTTER」とは、 どんな人間像だとお考えでしょう?
目の前のことでいっぱいになってしまうのではなく、流れ に、波に上手く乗っている人。最近何かが上手くいかな いと思ったら、おそらくどこかが間違っている。 そこに敏感になり、軌道修正をかけられるようにしておき たい。楽しい状態が一番健康ですから。私はハッピー を追求していきたいですね。
【Mariya Suzuki ・ ILLUSTRATOR】
カリフォルニア州ロングビーチでイラストレーションを学び、現在は東京をベースに活動中。 本や雑誌、広告やウェブなど、 幅広くイラストを提供している。 東京を中心に、各地でオフィスや商業施設の壁画も多く手がける。 日常の中のあらゆる ものを見て描くことを得意とし、まちを歩きながら心に響く形やストーリーを感じるものをとらえることが好き。
www.mariyasketch.comHP
www.instagram.com/mariyasuzukiInstagram