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現代の生き方のヒント
「PLOTTER MAGAZINE」
[Interview No.006]

さまざまな世界において活躍する「PLOTTER」の行動力は創造性に溢れています。

「PLOTTER MAGAZINE」は、彼らの考え方や価値観を通して、過去から今までの歩みをたどり将来をポジティブな方向に導く変革者たちを応援します。

私たちが創るツールと同じように、ここに紹介する「PLOTTER」の物語が、みなさんにとってのクリエイティビティのヒントになれば幸いです。

6人目となるInterview No.006のPLOTTERは、WOODWORKERであり、NOTEWORKS 主宰の「児玉 裕史 」さんです。

 

『農家生まれ、スケートボード育ち。未知なることを学び、実験し、形にする、DIYマインドが突き動かす衝動。』

手づくりは自由だ。 物によっては多少、あるいはかなりの困難は伴うが、自分が欲しいと思う理想的な形、素材を実現でき、何なら問題をまで解決できるのだから。額縁や家具など、木材を使ったものなら何でも制作を請け負うという、世田谷区の淡島通り添いに店舗兼アトリエを構える「NOTEWORKS」代表の児玉裕史さんは、手でつくられるものに囲まれて育ったという。 ラフでありながら独自のセンスやストリートのカルチャーから影響を受けていると思われる佇まいやファッションからは想像がつかないのだが、児玉さんのご実家は代々、農家を営んでいるそうだ。 だからなのだろう。「 NOTEWORKS」の扉を開き、空間に足を一歩踏み入れると、都会の窮屈さではなく、温かい朗らかさに包まれているような感覚を覚える。
児玉さんに聞いたのは、幼少期からの生活やそこからどう成長し、何に、誰に影響を受け、学び、今に至っているのか。 そして児玉さんの個性、アイデンティティーは強固な友情の積み重ねと、ものづくりに対する衝動的な意欲と愛情によって形成されていることが、話を聞くと分かってくる。

 

――幼少期はどんなお子さんでしたか。

生まれは宮崎県の東諸県郡(ひがしもろかたぐん)という、山に囲まれ、平野部には畑が広がる田舎で、実家は代々、農家を営んでいます。 その影響なのか、幼い頃からないものは自分で作ったり、改造したりというのが当たり前だったような気がします。 例えば、中学生になったばかりの頃、自分の部屋と専用のテレビを持てたのですが、田舎なのでテレビ本体に取りつける小型のアンテナではなかなか電波が入らなかったんですよ。それで父に相談したら、メインのテレビのアンテナに繋いでくれて、あっという間にきれいに映るようになって。「うちの親父、何者なんだ!」と、感動を覚えました。

 

――それはスゴい。 農家のお手伝いはされていたんですか?

いつもやっていました。 今でも手が必要になったら帰るようにしています。

 

――家を継ごうとは考えなかったんでしょうか?

両親からは好きなことを見つけるようにと言われていたので、特に家のことは考えてなかったです。

 

――今のお仕事に直結するきっかけはどんなことなんでしょう?

間違いなく、中学生からはじめたスケートボードですね。かわいがってくれていた先輩たちが皆スケートボードをやっていて、学校が終わったら公園に集まり、ひたすら遊んでいました。 そこでまず、ストリートファッションの格好良さを覚えたのです。 絵を描くのも好きだったので、服飾関係の仕事に就こうと高校卒業後に福岡県の専門学校に行き、洋服のパターンを主に学んでいたのですが、少しずつスタイリストになりたいという気持ちに切り替わっていって。 アパレルショップでアルバイトをしながら勉強をしていました。 そんなときに、東京で活躍されているスタイリストの新居崇志さんに出会ったことが、上京のきっかけになったのです。

東京に来てからしばらくの間は、新居さんの仕事を手伝いながら、並行して家具のリサイクルショップでも働いていました。 子どもの頃からものを作るのが好きだったので、廃材を使って何か作れないかなと思い、こっそり額縁を作って販売していました(笑)。

 

――現在のお仕事に近づいてきましたね。

そうこうしているうちに、額が欲しいというお客さんが増えてきて。 あるとき、お店の常連で70 歳ぐらいの元宮大工の方と仲良くなり、正しい道具の使い方や作り方のコツなどを教えていただいたり、道具を貸していただいたりしたのです。 その方のおかげで基本を身につけることが出来ました。 それから自分なりに実験を繰り返しながらオリジナルの方法を編み出していきました。 額の販売が軌道に乗り始めると、家具の扉を作って欲しい、扉をこの色にして欲しいなど、個別の依頼も来るようになって。せっかくの機会なので引き受けて、分からないことが出てきたら専門の人にアドバイスを求めるなど、多くの人の助けをいただいて少しずつ成長しました。

 

――そういった状況が続き、「NOTEWORKS」の母体になっていくわけですね。

そうですね。
以前、新居さんから「東京はいろいろなことが出来る場所。 スタイリストと決めず、チャレンジしてみたら」というアドバイスもあり、23 歳のときにアルバイトを全部辞めて、意を決して「NOTEWORKS」を立ち上げました。 今一緒にやっている幼馴染の川上大輔が一緒にやろうと
いってくれたのも大きかったです。屋号を構え、箱を持った後でも、やっていることは変わらず、いつも未知のことばかり。 さまざまなオーダーをくださるお客さんの希望を叶えるために、都度、勉強をして形にする。 何かをつくり出す仕事とはそういうものなのかなと思います。

 

――どんなオーダーがあるんですか?

家を建てたので入り口のところを装飾したい、テイストが同じ本棚が欲しい、ローテーブルや棚、思い入れのある写真の額を作って欲しいなど。 依頼は本当に多岐に渡ります。

 

――どういったふうにアイデアを生み出すのでしょうか?

まずはお客さんの話を聞きます。 すると、好みややりたいことが見えてくるので、浮かんだイメージを忘れないようにとにかくノートに描いていきます。 お客さんの意向を紙の上で形にしていく感じですね。

 

――なるほど。 児玉さんご自身のスタイルがあるからこそ、良いものを作ってくれるんじゃないかと期待するのでしょうね。農家というバックグラウンド、スケートボード・ストリートのカルチャー。 双方の根底には自分で術を見つけ出すDIY 的なマインドがある。 それぞれが結びつき、独自のスタイルになってきているように感じます。

確かにそうかもしれないですが、このままで良いのかなと思うことも多々あります。 額ではなくて、向いていることは、もっと他にあるのではないかとか。 自分のなかで流行りもありますから。 でも、僕はこのスタイルで良いと思っています。 僕の尊敬する先輩たちは、とにかく優しくて、何かを相談すると必ずアドバイスをしてれます。 彼らのように僕も、もちろん芯は大切にしつつ、いろいろなことを受け入れる態勢でいたい。

 

――最後に児玉さんにとっての「PLOTTER」とは、どんな人間像だとお考えでしょう?

「PLOTTER」は、自分のスタイルを持ちつつも、柔軟性の高い人を指すのではないかと思っています。

 

【児玉裕史 ・ WOODWORKER】

1984年 宮崎県生まれ
NOTEWORKS 主宰
2006年に活動をスタート。 RE thinkをテーマに、廃材を利用した創造物を世に届けている。 個性豊かな額縁の創作、木材を使用したインテリア・内装工事等を主な活動としている。

www.noteworks.jp

www.instagram.com/noteworks