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現代の生き方のヒント
「PLOTTER MAGAZINE」
[Interview No.007]

さまざまな世界において活躍する「PLOTTER」の行動力は創造性に溢れています。

「PLOTTER MAGAZINE」は、彼らの考え方や価値観を通して、過去から今までの歩みをたどり将来をポジティブな方向に導く変革者たちを応援します。

私たちが創るツールと同じように、ここに紹介する「PLOTTER」の物語が、みなさんにとってのクリエイティビティのヒントになれば幸いです。

7人目となるInterview No.007のPLOTTERは、プロジャズピアニストの杉山貴彦さんです。

 

ジャズと出会い、演奏する楽しさを知った。

“いま”の自分だからこそ生み出せる音楽を、

人生を通して探求し続けていく。

 

杉山貴彦さんは、とても楽しそうにピアノを演奏する。穏やかな笑みをたたえながら、華麗に指を運び、鍵盤から美しく軽やかな音色を紡ぎ出す。その様子を目にすると、彼に襲いかかった病の気配などは微塵も感じられない。いや、きっとそれは前向きな気持ちとリハビリにかける懸命な努力が、周囲にそう思わせているだけなのだろう。

杉山さんは日本の大学院を卒業後、世界的な名門音楽大学であるバークリー音楽大学へ進学するためアメリカへ渡り、帰国後はジャズ・ピアニストとして順調な活動を行なっていた。そんな時に発症したのが、フォーカル・ジストニア。決定的な治療法が見つかっておらず、音楽家生命を失いかねない深刻な神経疾患である。それでもジャズ・ピアニストという生き方から離れることはなかった。ジャズとの出会い、留学時代の経験、恩師から学んだこと、病との向き合い方、杉山さんの半生を紐解いていく。

――初めてピアノを弾いたのは、いつ頃ですか?

3歳です。母がクラシックピアノの先生をしていたので。幼稚園くらいまでは、純粋にピアノを楽しんでいました。ただ小学校に上がると、サッカーが大好きになってしまって……。「男子である僕がピアノを弾くのはいかがなものか」と(笑)。当時「ピアノは女の子が習うもの」というイメージが、どうしてもあったので。

――確かに(笑)。ピアノからは小学生の時に一時離れてしまったのですか?

辞めさせてもらえませんでした。私の両親は「一度始めたものは続けた方がいい」という教育方針だったんですね。だけど中学3年生になる時、「テストで学年何位以内に入れたら、辞めてもいいよ」と言われたんです。親としては「絶対無理だろう」という順位だったのですが、そこに入ることができて、ようやく辞められたというか。

せっかく辞められたのに高校へ進学し、軽音楽部に入ったんです。パートはキーボード。きっかけは中学生の頃に聴いたQueenやBon Joviのアルバムです。僕の生まれ育ったところは小学校の全校生徒が60人ほどの田舎町でしたが、中学校は街中にあったので、いろんな情報が手に入るようになりまして。それで友人からオススメされた音楽が、QueenやBon Joviでした。いまはいろいろな音楽へ手軽にアクセスできますが、当時はクラシックかテレビで流れるJ-POPしか知らなかったので。「こういう音楽もあるんだ!」と知り、また音楽に触れたいと思ったんです。そこからは音楽漬けの生活でしたね。

――好きな音楽に出会えると、そこから派生していろいろな音楽を聴くようになりますよね。「この人が影響を受けたミュージシャンは誰だろう」とか。

そうなんです。どんどん辿っていくうちに、ジャズに行き着きました。高校の文化祭ではQueenやBon Joviのコピーをしていました。あとはThe Yellow Monkeyとかも好きでしたね。

みんなでバンド演奏をするのは楽しいのですが、それまでの曲は楽曲的にキーボードがあまり活躍しないんです(笑)。そこで、「もう少し指を動かせるのはないかな」と調べていき、Deep Purpleといったハード・ロックやヘビメタ系のバンド、そのうちにプログレッシヴ・ロックも弾くようになりました。プログレッシヴ・ロックは変則な拍子で進み、曲も変調していくので、テクニック的に演奏するのが面白かったですね。Emerson, Lake & Palmerをよく聴いていて、「ジャズっぽくてカッコいいな」と。いま思うとジャズではないのですが。その流れでジャズを聴くようになりました。

とはいえ、ジャズはアドリブの音楽。ジャズ・ボーカリストのNat King Coleが好きだったのですが、譜面はないといわれてしまって。アドリブなんて特別な人にしかできないと思っていたので、あきらめて、大学ではジャズ研に入ることにしました。

――当時からジャズ・ピアニストを志していたのですか?

仕事にしようとは考えていませんでした。「趣味として、ずっと音楽ができればいいな」くらい。どうしても音楽と関わる仕事に就きたかったので、大学は電気電子工学科を専攻しました。音楽系のメーカーに就職できたらいいなと思って。

ジャズ研では独学でジャズ・ピアノを練習しました。複数の理論書を読み込み、まさに試行錯誤の繰り返し。ジャムセッションは鍵盤、ギター、サックス、ドラムなど、その場で互いに影響しあって演奏していくので、ある程度の技術が身につくと、アクシデントすら「その時の音楽」として楽しめるんです。どんどんジャズに魅了されていきましたね。ジャズをやっているといろんな方々と繋がれるので、大学生の頃からライブハウスや結婚式で演奏するなど、仕事としてピアノを弾く機会も多かったです。

――大学院を卒業後、アメリカのバークリー音楽大学へ留学されたそうですね。

バークリーは僕にとって憧れの場所。正直、入学できるなんて思ってもみなかったです。

でも、ジャズ研での活動を通じて知り合ったジャズ・ピアニストの山中千尋さんが「バークリー、いこうと思えばいけるよ」とアドバイスをくださり、留学について考えるようになりました。そこから人のご縁や環境、運に恵まれ、学科と実技試験をパスし、バークリーの奨学金も得て、2004年の9月に入学できることになりました。

 

――バークリー音楽大学で過ごした時間や学んだことは、どのような経験になっていますか?

バークリーは総合的に音楽を学べる場なので、世界が非常に広がりました。先生によって授業のスタイルはさまざま。学生も出身国によっていろいろなタイプがいて、だからこそ多様性のある音楽が生まれているのだと、学校生活を通じて体感しましたね。ジャズ・ピアニストとして生きていく土台を築け、ここから突き詰めていく楽しさを教えてもらえたと感じています。

バークリーを卒業後は、YellowjacketsのキーボーディストであるRussell Ferranteからプライベートレッスンを受けるためにロサンゼルスへ。Russellには作曲法やハーモニー、アドリブのアイデアなど、多大な影響を受けました。ジャズ・ピアノを学ぶというのは、自分の中に新しい色を追加していくような感覚です。それはジャムセッションでのアドリブや作曲を行う際にも生きてくるんですよ。

Russellからは人間として影響を受けている部分も大きいですね。彼は家族との時間を大事にしていて、自宅ではそれほどピアノを弾かないそうです。ただ、ツアーで世界中を周っている時は、家族に会えない分ひたすら練習をする。こういう話を聞き、「理想的な生き方だな」と感銘を受けました。それが音にも現れているんですよ。個性的であり、温かなピアノの音色。Russellの存在は僕の目標にもなっています。

――アーティストとしても、人間としても、素晴らしい方なのですね。杉山さんは2007年に帰国されたそうですが、日本ではどんな風に活動をしていこうとお考えに?

まずは仕事を見つけようと、いろんなところに顔を出しました。レストラン、バー、ライブハウスなど、毎晩どこかしらで演奏していましたよ。あとはアマチュアの方がセッションをするときにサポート役として加わったり、企業のイベントに出演したり、都内を中心にジャズ・ピアニストとしての活動の場を広げていきました。

そんな中、2011年頃ですね、右手の指の調子が悪くなってきたんです。指が伸びてしまい、鍵盤を押せない。フォーカル・ジストニアの発症でした。

――フォーカル・ジストニアは、音楽家の方に多く起こる疾患ですよね。さぞかしお辛かったことと存じます。

これまで訓練してきたものが、全く弾けなくなってしまったのです。知識は生きていますが、指が動かないんですよ。数多くの病院で診察を受けましたし、ジストニアになった方に相談もしました。とはいえ気持ちは前向きでした。ポジティブな妻の存在も支えになりました。絶対にその先に何かが待っているだろうと。

習得した技術やテクニックが使えないのは本当に残念なこと。でも、だからこそできる音楽があると思ったんですね。これまで培ってきた個性から生み出される音楽が、自分自身で楽しみでしたから。降りかかったものを受け入れて表現することが、僕のあるべき姿なんだと考えたのです。

 

――ピアノを辞めようとは思わなかったのですか?音楽以外の道を考えたり。

はい、ピアノを辞めることも、音楽から離れる生き方も考えませんでした。幸いにも左手は動く。まだピアノを弾けることがありがたかったですね。音の使い方が制限される中でどう弾くかを考えるのも、探求のしがいがあったんです。なぜならそれは、ジャズを始めた時から続けている当たり前のこと。だからピアノを弾けるだけ幸せだなと。現在もリハビリは継続中ですが、全ての指を使えるまでに回復しました。レストランやジャズバーでの演奏、ピアノのレッスンをしたり、依頼された譜面を書いたりなど、ジャズ・ピアニストとして活動をしています。

――ジャズ・ピアノの魅力をお聞かせください。

ジャズという音楽には、自由さゆえの出会いがたくさんあります。演奏者としての新たなアプローチや作品との出会いはもちろんですが、編成に決まりがないジャズは人との出会いも多いです。大学生の頃に感じた「ピアノを弾くことも、セッションをすることも、すべてが楽しい」という思いは、いまも変わらないですよ。

 

――最後に、杉山さんにとって「PLOTTER」とは、どんな人間像だとお考えでしょう?

人生を通じて変化を楽しんでいる人。まさに僕自身がそうなんです。特にバインダーやノートというツールがあると、自分自身の生活や趣向、考えを客観視できる。現状を知ることもできるし、進むべき方向性もおのずと示される。それらを日々アップデートさせながら、歩んできた自らの歴史を目に見えるカタチで積み重ね、一緒に変化をしていけるんです。

 

【杉山 貴彦 ・ JAZZ PIANIST】

バークリー音楽大学卒

ピアニスト、作曲家として自己のトリオ、カルテット等での演奏活動をライフワークにしていたなか、フォーカルジストニアを発症。病とともに、現在は講師とステージ演奏を並行して行いながら等身大の音楽を探求している。

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