現代の生き方のヒント
「PLOTTER MAGAZINE」
[Interview No.008]
さまざまな世界において活躍する「PLOTTER」の行動力は創造性に溢れています。
「PLOTTER MAGAZINE」は、彼らの考え方や価値観を通して、過去から今までの歩みをたどり将来をポジティブな方向に導く変革者たちを応援します。
私たちが創るツールと同じように、ここに紹介する「PLOTTER」の物語が、みなさんにとってのクリエイティビティのヒントになれば幸いです。
8人目となるInterview No.008のPLOTTERは、.URUKUSTのデザイナーであり革職人の土平恭栄さんです。
つくる楽しさを提案する。
理由のあるカタチを導き出す。
自分がつくる意味のあるものを届けていく。
レザーブランド「.URUKUST」のアイテムには、すべてのカタチに“理由”がある。上質な厚手の革を素材に生み出される、ミニマルなデザイン。革の風合いをいかした柔らかで独創的なフォルムは、使い手が求める機能性を確保し、年月とともに味わいが増していく。代表的な製品のひとつである長財布は、ステッチを最小限におさえた立体的なつくり。小銭入れにファスナーやフタがなく、財布を開くと中身が一目で見渡せる。もちろん、試行錯誤の上、小銭が飛び出すことのないように入念に考え抜かれた仕様なのだ。
これらのアイテムは、どのような人がつくっているのか。そしてどのような背景のもとに誕生したのか。「.URUKUST」を立ち上げたデザイナーであり、自ら製作を行う土平恭栄さんのアトリエを訪ねた。
――「.URUKUST」というブランド名には、どのような思いを込めているのですか?
「TSUKURU.=つくる」を逆さにしてみたんです。東欧やドイツの言葉のような「ウルクスト」という音の響き、「-ST」も「○○する人=つくる人」の意味合いが感じられて、なんかいいなって。両手を組んでいるロゴマークは、自分の手をスケッチしたものがベースになっています。
「.URUKUST」のプロダクトは、すべてこのアトリエで1点1点製作しているんですね。日本の原皮を東京のタンナーさんに鞣してもらっています。
――すべてが「Made in Japan」なのですね。レザーのプロダクトを製作されるようになったきっかけをお聞かせください。
13歳の時、中学のレザークラフトクラブに入りました。小学生の頃から手芸が得意だったので、レザーという素材に興味が湧いて。そのクラブでは、革の表面に細工を施すカービングという技法を使い、バラ柄のコースターなどをつくっていました。おばあちゃんの家にありそうな、ものすごく渋いコースターを(笑)。だからもっとかわいいポーチとかがいいなと思って、自分でレザークラフト用の工具を買いに行き、見よう見まねでいろいろなアイテムをつくり始めたんです。布地でバッグもつくっていました。
――小さい頃からものづくりがお好きだったのですね。では、やはり将来は「アパレル系のデザイナーになりたい」とお考えに?
実は音楽の道に進もうと考えていました。3歳からピアノを、小学5〜6年生からはドラムとギターとベースを習い、小学校のブラスバンド部ではトランペットを担当するなど、ずっと音楽が好きでした。中学校ではレザークラフトクラブとは別に部活もあり、迷うことなく吹奏楽部を選びました。
高校では軽音楽部に入部。女子5人組のバンドで、私はドラムでした。古着をリメイクして、文化祭で着る衣装もつくっていました。高校生の時は編み物にもハマっていましたね。自分で何かをつくるのは特別なことではなくて、生活の一部のようになっていたんです。自分の部屋に付ける棚をDIYしたり、もう何でも。
将来は作曲家になりたかったんです。当時、坂本龍一さんの音楽が好きで、映画音楽に憧れていました。手芸やレザークラフトはあくまで趣味。当時の私は音楽で食べて行くことしか考えていませんでした。高校卒業後は、音楽の専門学校に進学しました。
――そうだったのですね。ご経歴を拝見すると、桑沢デザイン研究所でデザインも学ばれたとか。
音楽の専門学校を卒業した後に、桑沢でインテリアや家具のデザインを学びました。というのも、音楽の専門学校に入り、「ちょっと違うかな」と感じたのです。もちろんいまでも音楽を聴くのは大好きですよ。でも私は器用貧乏なところがあって、わりと何でも上手にできてしまう。ある程度の曲はつくれるし、楽譜通りに演奏もできるけど、それ以上の個性やこだわりが薄い事に気付いて曲を作ることがだんだん苦しくなってきて、「ミュージシャンには向いてないな」と思ったんです。
じゃあ音楽でなければ何をしようかと考えたとき、DIYで自分の部屋を改装していた時から家具やインテリアデザインに興味があったので、デザインを学んでみたいと思い桑沢に入学しました。音楽の時と違い、デザインを考えたり制作することがとても楽しくて自分に合っているなと感じました。
卒業後は、眼鏡や食器など幅広いプロダクトを手掛けているデザイン会社に就職しました。ただ私が入社したのと同時期にその会社がバッグのブランドを立ち上げたんですね。私は高校から音楽の学校、桑沢時代までずっと趣味のレザークラフトは続いていたので、それなりにバッグを作ることはできました。会社の人にその話をしたら、「じゃあやってみて」と言われ、デザイン画を元に型紙を起こしてサンプルをつくったらすごく褒めてくれて、バッグブランド専属のアシスタントになってしまいました。
――土平さんは25歳の時にも、一度独立をされています。そのデザイン会社の在籍期間は短かったのですね。
自分でいろいろやりたくなってしまったのです。入社2年目からは「アルバイトにしてください」と、会社にお願いをして週に2〜3回会社へ行き、あとの時間は技術的なことを勉強するために、オーダーメイドのレザーバッグブランドのお店でお手伝いしながら、手縫いの技術を教えてもらっていました。
その頃、ニューヨークへ行きたくてお金も貯めていたのですが、アメリカ同時多発テロが起こり、出国を断念。それで、その旅費を元手に独立することにしました。
――当時立ち上げたのも、レザー系のブランドだったのですか?
レザーのバッグもありましたが、木製モビールやオブジェといった雑貨系の商品が中心でした。テーマは「遊び心があるプロダクト」。積み木のようにいろいろなカタチへ変化させられる置き物や、自分でつくれるレザーのキーホルダーのキットなど、購入した方が手を加えることで完成するアイテムを揃えていたんです。
ただ正直あまり売れず、展示会の出展費用や木工のサンプル製作など、お金はどんどん無くなる一方。そんな時、展示会でバッグを見てくれたアパレルメーカーが「ブランドごとうちの会社に入りませんか?」と誘ってくれまして。迷った部分もありましたが、お世話になることにしました。
その会社はOLさん向けのレディースの服が多かったんです。だからバッグだけを生産することになりました。仕事は楽しかったですよ。裁量を与えてくれましたし、売れたら嬉しいですし。でも「もう一度、独立しよう」とは決めていましたから、今度はじっくり考えて、7年勤めた後に退社しました。
――そして2011年、「.URUKUST」が誕生したのですね。
自分は今までいろんな事に手を出してきたけど、何気なく趣味で続けていたレザークラフトこそが自分の天職かもしれないと思い、そして私は昔からつくることが好きなので、「つくる楽しさ」を提案するブランドにしたいと考えました。思い付いたのは革製品のDIYキットです。箱の中に革のパーツや金具、針、糸などを入れて、それぞれでつくってもらえるものがいいなと。既製品の製作を始めたのは3年目くらいからですね。
世の中は本当にたくさんのプロダクトで溢れていますから、私が「つくる意味のあるもの」を発信していこうと思いました。シンプルな構造でありながら、必要最低限の機能をもち、使いやすいもの。最初につくったのは長財布です。一般的な財布のイメージはすべて消して、「お財布は何のためにあるんだろう」というところから、自分なりに考えていったんです。お札と小銭とカードを一緒に持ちたい。服のポケットに全部を入れたら、ジャラジャラしてしまうし、取り出しにくい。だったら巾着に入れてみよう・・・という次元から。そのような感じで必要最低限の要素を組み立てて行くとカタチが導き出されていきます。その思考は「.URUKUST」のすべての製品に共通しています。財布にしてもバッグにしても、まずコピー用紙を折ったり、切ったりしながら、実験のようにペーパーサンプルを作成していく。スケッチはほぼ描かず、ある程度カタチが決まったら、イラストレーターで型紙をつくっていきます。
――そのような製品をつくられる、根底にある思いとは?
桑沢でデザインを学んでいた頃、日本を代表するプロダクトデザイナーである柳宗理氏の本を読み、すごく感動したんです。彼が理想とした「アノニマスデザイン」の思想に共感したというか。アノニマスデザインとは、ブランドやデザイナーを謳わない、無名性のデザインのこと。用途、利便性、量産するプロセスなどを考えてつくられたそれらは、とても美しい。「デザインってこういうことなんだな」って感じて。だから「.URUKUST」では自分のエゴのようなこだわりは極力排して、「何が必要なのか」を一番に考えています。
最近よく「私だからできることって何だろう」と考えるんです。13歳から始めたレザーとはこれからも一生関わっていくつもりです。なんというか、私はつくることも好きだし、デザインも好き。レザークラフトとデザインが合致したものがまだないので、「私に何かできないかな」と模索しています。
――土平さんによる新たな提案が楽しみです。創造性が刺激されるのはどのような時ですか?
デザイナーなり、音楽家なり、素晴らしいクリエイションを生み出す方々の作品に触れると、「じゃあ自分は?」と考えるきっかけになりますね。最近よく聴いているミュージシャンの細野晴臣氏は、「好きだからやっている」のが、作品を通じて感じられるし、最近旅行で行った「バウハウス」の創立者である建築家のヴァルター・グロピウス氏は「時代を変えたい」という強い思いを感じられるし、どちらにしても「ピュア」なんですよ。「売れたい」というより「やりたい」という純粋な思いが、作品を通じて感じられるんです。
――純粋な気持ちで創作と向き合っている方の作品は魅力的ですし、人を惹きつけますよね。最後に、土平さんにとって「PLOTTER」とは、どんな人間像だとお考えでしょう?
やはりピュアな人だと思います。ピュアだからこそ、誰も想像すらできなかったモノやコトが、つくれるのではないでしょうか。いまの私は邪念ばかり(笑)。自分がピュアでいられる場所を、探しているのかもしれません。
【土平 恭栄 ・ .URUKUST DESIGNER】
13歳でレザークラフトを始める。桑沢デザイン研究所でデザインを学び、その後アパレルメーカーでバッグデザイナーとして勤務したのち、2011年.URUKUST設立。国内タンナーと協力して作ったオリジナルの皮革を使用し、革本来の強さを活かし無駄のないシンプルな構造で革製品を作る。その他レザークラフト教材の企画デザイン、書籍の出版などものづくりに関わる活動も行なっている。
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