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現代の生き方のヒント
「PLOTTER MAGAZINE」
[Interview No.011]

さまざまな世界において活躍する「PLOTTER」の行動力は創造性に溢れています。

「PLOTTER MAGAZINE」は、彼らの考え方や価値観を通して、過去から今までの歩みをたどり将来をポジティブな方向に導く変革者たちを応援します。

私たちが創るツールと同じように、ここに紹介する「PLOTTER」の物語が、みなさんにとってのクリエイティビティのヒントになれば幸いです。

11人目となるInterview No.011のPLOTTERは、ミューラル(壁画)アーティストのオノ・ルイーゼさんです。

 

絵を描くと決めた時から、世界が広がった。
鮮やかで色彩豊かな絵を通じ、
鑑賞者の未来に光を届けたい。

 

溢れんばかりの生命感に満ちた色鮮やかな花と植物が、壁いっぱいに広がっている。通りがかる人々はふと足を止め、しばらくの間絵を見つめると、心なしか晴れやかな表情となって、また歩みを進め出す――。飲食店や美容室、公共施設など、多くの人が交差する空間の壁画を手掛けるルイーゼさんの作品の前では、こんな光景が繰り広げられている。 ルイーゼさんの半生は自身が描く絵のように、眩しい光だけに包まれてきたわけではない。ぼんやりと曇りがかった子ども時代。しかしある時を境に、絵で生きると決めた。華奢な手ひとつで未来を切り拓き、自分らしく輝くルイーゼさんの絵にかける想いとは。

 

――小さい頃は、どのようなお子さんでしたか?

すごくシャイで、消極的で、恥ずかしがり屋。自己肯定感の低い、自分に自信がもてない子どもでした。友達と遊んだりもしましたが、一人で遊ぶことも多かったです。母子家庭で、母は夜も働いていましたから、テレビに飽きた頃、漫画を真似た絵を描いたり。絵を描くのは好きでしたが、ものすごく得意だったというわけではないんです。

 

――「将来は絵を仕事にしたい」とお考えになったことはありますか?

ありません。職業の選択肢を知らなかったので、絵を仕事にするなら漫画家しかないと思っていたんです。でも私、登場人物の目の中のキラキラが描けなくて、その時点で諦めていました。 経済的に恵まれた家庭環境ではなく、母の姿を見ていても「普通になるのがベストなんだ」と感じていましたね。とはいえ企業の制服を着ることに抵抗があったので、母の前職が美容師だったこともあり、高校卒業後の進路を決める段階までは美容師志望だったんです。

――美容師さんを目指していたのですね。しかし高校ご卒業後は、東京家政大学造形表現学科に進学されています。

大学の指定校推薦のリストを見ていたら、夢が一気に広がる感じを抱いたんです。美容専門学校の見学にも行っていましたが、受験勉強をせずに大学へ進めるのなら私もいきたいなと思って。一応、ある程度の成績はキープしていたんですね。それで学費は奨学金などで工面し、大学に進学することにしました。

 

――大学在学中に制作されていた作品についてお聞かせください。

大学では陶芸、金工、テキスタイルデザインなど、授業の課題で制作していた程度です。絵に関しても、やっぱり自
分より断然上手な人がいましたから、彼女たちの実力を目の当たりにしたら気持ちが滅入ってしまって、「自分は別の
ことをしよう」と考えていました。 ただ、20 歳の時に母が亡くなったんです。人間っていつ死ぬのか分からないものなんだなと、衝撃を受けたというか。だとしたら自分は好きなことをして生きたいと思ったんです。いろいろと我慢の多い幼少期を過ごしていたので、そうやって生きていたら後悔のない人生が送れるなって。そこからですね。絵を描こうと決めたのは。

 

――少女時代からずっと絵を描くことは好きだったけれど、どこかでその気持ちを抑圧されていたのですかね。

そうだったんだと思います。それこそ保育園くらいの頃から、本当は絵を描くことが大好きでした。だけど必ずクラスに絵の上手なコがいて、いつも挫折をしていたんですよね。だから絵を描きたいとか、将来はアーティストになりたいとか、そんな気持ちにはどうしてもなれなくて。

――「描きたい絵」は決まっていましたか?

21歳ではじめて海外旅行をして、アメリカのロサンゼルスとサンフランシスコを訪れたのですが、ここで観たグラフティアートや壁画に感化されたんです。落書きではなく、クオリティがとても高いんですね。絵を描く仕事をするならこれがいい。直感的にそう感じました。 振り返ると、高校時代の通学路の途中にあった上平塚のトンネル内に描かれた壁画が好きだったんです。横幅が15mくらいある巨大な作品で、目にする度に新しい発見がありました。自分が育った神奈川県平塚市には、海岸周辺にもさまざまなグラフティアートが描かれていて、小さい頃から「カッコいいな」と思っていたんです。その感情を母に話すことはできず、自分の中だけに秘めていましたけれど。

――ペインターとしてキャリアをスタートされたのは2011 年。クラブイベントで行なったライブペイントだったとか。

友人がオーガナイザーをしているイベントに呼んでもらったり、自分たちでイベントを主催して表現する場をつくっていました。実はその頃、大学を中退しているんです。仲の良い友人が大学1 年で辞め、デザイン事務所ですぐに働きはじめたこともあって、卒業しなくてもやりたい仕事に就けるんだと、彼女の活躍が希望のように映っていました。自分もどこかの企業に就職するとは考えていませんでしたから、思い切って。

 

――お母様がご逝去されたこと、大学を退学されたこと、絵で生きていくと決められたことなど、ルイーゼさんが20 歳、21歳の時にいろいろな思いや出来事が重なり合っていたのですね。

そうですね。自分の中の何かがどんどん解放され、自由が入ってくる感覚でした。多種多様なカルチャーの存在を知り、たくさんの面白い人たちに出会い、視野が広がっていったのもこの時期です。 クラブでのライブペイントも、初期は毒々しい作風だったんですよ。だけどそれだと結局、ネガティブなスイッチが入ってしまうので、自分自身も幸せになれません。だから徐々に明るいタッチの絵を描くようになっていきました。

――ルイーゼさんは「成長」をテーマに作品を描かれているそうですね。

植物が生い茂る様や太陽に向かって伸びていく力を、有機的な線と鮮やかな色で表現しています。自分自身も成長していきたいという思いを絵に込めて。 花を描くようになったのは2016年からです。「リアルなものは自分に描けない」と思っていたので、それまでは植物をイメージさせる抽象画のようなスタイルだったんですよ。でも2016 年にワーキングホリデーでオーストラリアへ行き、しばらく絵を描かずに過ごしていたのですが、ある日ふと「花の絵が描きたいな」と思い、バラを描いたことがきっかけになりました。 仕事は壁画のご依頼が多いのですが、まずはどんな絵を希望されているかヒアリングをして、ラフ画をご提案するんですね。ラフ画にはその方の好きな色や植物、花言葉を調べてマッチした花を織り交ぜています。最近、気に入っている花は「希望」が花言葉のガーベラや、「思いやり」という意味をもつチューリップ。花言葉を口に出すのはちょっと恥ずかしいんですけど、調べた花と花言葉などは手帳に書き綴っています。

――創作のためのインプットは、どこで行うことが多いですか?

なんでしょうね。何気なく目に入った軒先の花や植物に、ハッとさせられたりします。自宅でもハバネロやケールを種から育てていて、その葉をめがけてやってきた虫を観察するのも面白いんですよ。 あと、私は映画鑑賞が趣味なのですが、映画の中に出てきたシーンや色合いをエッセンスとして作品に取り入れています。昔のディズニー映画の線のタッチからも影響を受けているかな。私の絵は線の強弱のニュアンスに特徴があるなと感じていて、線と線の繋がりにも丸みをもたせています。立体感とフラット感が混じり合ったような表現も好きですね。

――ヴィヴィッドな色使いからも、ルイーゼさんのこだわりが感じられます。 

アクリル絵の具をそのまま使うのではなく、使用する色はすべて調色しています。赤と青の間の色、緑と青の間の色など、色と色の間を探すのがすごく好きなんですよ。黄色とオレンジを混ぜてチェダーチーズのような色にしてみたり。味覚に似ているというか、「この黄色だとちょっと強いから、白を入れてマイルドにしようかな」といった具合ですね。

 

――ルイーゼさんの作品はパブリックスペースや商業空間などで目にできる機会が多いので、それを見た子どもたちの未来が広がる契機にもなりますね。「こんなに鮮やかな世界があるんだ」とか、「こういう仕事もあるんだ」とか。将来に希望がもてなかったり、夢が限定されてしまっている子どももたくさんいるはずですから。

そういう想いもあるんです。私みたいな子を救いたいというか。家庭環境やさまざまな問題を幼い頃から抱えていて、人生を諦めてしまっている子どももいますよね。自分の絵を通じて、未来への希望を伝えていきたい。そして世の中にはいろんな色があることを知ってほしいんです。身の回りの家も、いつも歩いている道路も、道端の植物も、すべて色が違う。それを知るだけで、自分の世界が広がると思っています。

――現在、日本のみならず、海外でも目覚ましいご活躍をされています。世界中の方々が、ルイーゼさんの作品から元気をもらっているのでしょうね。

「幸せな気持ちになったよ」、「色鮮やかですごく綺麗だね」って、海外でもたくさんの方が褒めてくださるんです。私の描いた壁画を観て「うちにも描いて」とオーダーしてくれる方もいて、すごく嬉しいですね。まだ訪れたことのない国に行って、いろいろなものを見たいし、もっともっと絵を描きたいです。

 

――いまのルイーゼさんにとって、絵を描くこととは?

絵を描くことで、自分自身が解き放たれたと思っているんですね。絵は私の原点であり、私そのものであり、何より好きなこと。だからもう、何があっても諦めないですし、辛いことがあっても乗り越えられます。それが私にとっての“絵” という存在ですね。

――最後に、ルイーゼさんにとって「PLOTTER」とは、どんな人間像だとお考えでしょう?

常に広い視野を意識している人。自分もそうありたいと思っています。

 

オノ ルイーゼ ・ Artist/Painter

1989年生まれ。神奈川県平塚市出身。
“成長”をテーマに、植物の生い繁る様や波の流れ、自然界に溢れるエネルギーを有機的な線で表現している。2011年、クラブイベントでのライブペイントにてキャリアをスタート。現在は店舗内外への壁画や企業・行政とのコラボレーションを経て、壁画フェスティバルPOW!WOW! JAPAN ・TAIWAN・ HAWAII・LONG BEACHへ参加、そしてららぽーと湘南平塚や高知蔦屋書店、清福寺への壁画等、現在は積極的に大型の壁画制作を行っている。

HP https://luiseono.com