現代の生き方のヒント
「PLOTTER MAGAZINE」
[Interview No.013]
さまざまな世界において活躍する「PLOTTER」の行動力は創造性に溢れています。
「PLOTTER MAGAZINE」は、彼らの考え方や価値観を通して、過去から今までの歩みをたどり将来をポジティブな方向に導く変革者たちを応援します。
私たちが創るツールと同じように、ここに紹介する「PLOTTER」の物語が、みなさんにとってのクリエイティビティのヒントになれば幸いです。
13人目となるInterview No.013のPLOTTERは、靴職人の村上 塁さんです。
生きる場所として選んだのは、
職人が減り、低迷が続く靴業界。
未来は自らの手で変えていく。
神奈川県横浜市にある東急東横線「反町駅」から徒歩7 分、人通りもまばらな商店街の中に、国内外から依頼が届く靴の修理店がある。「ハドソン靴店」という名のこの店は、吉田茂や石原裕次郎をはじめ多くの著名人を顧客にもった靴職人・佐藤正利さんが1961年に設立。佐藤さんに師事した村上塁さんが、2011年より2代目店主となった。
靴の製造は基本的に分業制となっており、靴のアッパーを縫製する製甲師、ソールを接合する底付け師など、各工程に特化した専門の職人がいる。村上さんは紳士靴の底付け師として修行を積み、キャリアを重ねてきた人。靴の修理技術は独学だという。「修理と製造における技術はまったくの別物」とのことだが、製造で培った高い技術力をもってしてこそできる修理もある。他店で断られた難しい靴の修理を引き受け、評判が評判を呼びファンを増やしてきた。2021年2月にはセミオーダー形式でオリジナルシューズの販売を行う「HUDSONS」をオープン。村上さんが取り組むすべての活動は、靴業界の未来に繋がっている。
――靴職人を志すまでの経緯をお聞かせください。
高校卒業後の進路を考えた時、具体的な職業をイメージしていたわけではありませんが、美大に進みたかったんです。だけど進学校だったこともあり、「美大へいきたい」と言い出せる雰囲気ではなくて。そのままずるずると三浪。最終的に長野県にある大学へ入学しました。そこではじめて学歴に左右されず、楽しそうに生きている人たちに出会ったんです。自分もやりたいように生きよう。そう決めて、まずはじめたのは職種選びでした。
僕は良くも悪くも自分の仕事を正当に評価してもらえる職に就きたかったんです。仏像をつくる仏師、タトゥーの彫り師、ピアノの調律師などいろいろ調べていく中で、興味を抱いたのがテレビで目にした靴職人。そこから大学を中退し、1年間アルバイトをして学費を貯め、靴づくりを学べる専門学校に入学しました。
――靴づくりを学ぶ中で、なぜ底付け師になろうと思われたのですか?
縫う、削る、撚る、接着するなど、底付けは靴づくりの中で最も造形要素が多い工程です。それがとても面白かったんですね。何事においてもひとつひとつを理解してからでないと、次へ進めないという自分の性格にも合っていました。欠点だと思っていた部分ですが、職人ならばそれが強みになる。「神は細部に宿る」というように、靴づくりは精度の高い工程の積み重ねが仕上がりに反映されるんです。「ハドソン靴店」の佐藤さんも、次に師事した関信義さんも、専門は底付け師。専門学校在学中から佐藤さんのところで修行していたので、学校は1 年ほどで中退してしまいました。
――佐藤さんも関さんも、靴業界ではずば抜けて腕の立つ職人として有名な方です。お二人からはどのようなことを学ばれましたか?
佐藤さんにはハンドソーン・ウェルテッド製法という何百年も変わらない技術を中心とした靴づくりの基礎、関さんには「時代に合った靴づくりをしろよ」という考えに基づいた応用技術を教わりました。
――それらが村上さんの技術の礎の一部となっているのですね。「ハドソン靴店」の2 代目店主となられたのは2011年、村上さんが28歳の時でした。
ええ。関さんに師事している時、佐藤さんが急逝されたんです。でもそこですぐ「ハドソン靴店」を継いだのではなくて、関さんのもとで修行を終えた後は浅草の靴メーカーで働くことになっていました。その会社を退職して佐藤さんにお線香をあげに行った際、奥さまから「継いでくれる人を探している」と聞いて。佐藤さんに教わった方は何十人といたので話をもちかけたみたいですが、誰も「YES」と言わなかったそうなんですね。そりゃそうなんです。靴の修理業界は「立地9割・腕1割」といわれるほど立地がものをいう。「ハドソン靴店」のある場所は、お世辞にも商売をやる場所とはいえません。加えて靴業界は低迷しており、技術をもっていたとしても食べていくことすら難しい。それでも継ぐことを決意したのは、生きるためです。僕には靴しかない、靴にしがみついてしまったんですよね。だから当時はビジョンもビジネスモデルも何も描いていないんです。最初の5、6年は、とにかく店をつぶさないことで精一杯でした。
――現在「ハドソン靴店」では、他店で修理を断られた靴や、満足のいく修理に仕上がらなかった靴を引き受け、その仕上がりに高い評価を得ています。ここに着目したきっかけがあるのでしょうか?
靴の修理屋はチェーン店が主流で、ビスポークの職人は自分でつくった靴しか修理しないところがほとんどでした。そうすると宙ぶらりん状態の修理が出てくる。そこに気がついたんです。僕は底付けに精通していますから、修理費用が高額だったとしても、お客さまと話すことで納得してもらえるんですね。いまでもひとりのお客さまに対し、2、3 時間かけて接客することもありますよ。
接客や修理を行う上で大切にしているのは、お客さまの意向を反映させること。お客さまとの会話を通じ、好み、使用頻度、年齢などに応じた修理を行ないます。たとえば年配の方は足の筋力が落ちているため、レザーソールにすると重みによって足が疲れやすくなる。なのでそういう方には、靴の雰囲気を壊さない軟質のスポンジ材をご提案するんです。ラバーソールより寿命は短いですが、軽くてはき心地も良いですから。
――なるほど。「ハドソン靴店」に修理をお願いすることで、愛着のある靴とより永く付き合っていけるのですね。
「もう履かないだろうけど、最後に直してやりたいんだ」と営業マンとして定年まで勤め上げた方の相棒のような靴や、「叔父が満州で騎兵連隊に所属していた靴なんです」というブーツなど、お客さまとたくさんの思い出を共有してきた靴の修理の依頼も多いんですね。かといって特定の靴を贔屓することはありません。感情に左右されることなく、どんな靴に対しても同じ目線で向き合っています。主人公はお客さまと靴。僕の思いが入る余地は最初からなくて、お客さまが喜んでくれればいいんです。職人って“生き方”だと思うんですよ。佐藤さんも関さんも、本物の職人は自分のことを「職人」と言わないし、「一流」だと思っている素振りすらみせない。それは周りが言う言葉であって、彼らは常に上を目指しています。僕は自分の仕事を分かりやすく伝えるために「靴職人です」と言いますけど、気持ちとしては佐藤さんや関さんと同じ思いでいますね。
――「職人は生き方」。どの職種にも通じるお考えですね。村上さんはシューズブランドを立ち上げ、2021 年2月に新店舗「HUDSONS」をオープンされました。「HUDSONS」ではどのような靴を展開されているのですか?
「HUDSONS」のコンセプトは「post traditionalmodern」。「伝統的な靴の製法技術を継承しつつ、現代のエッセンスを加えた新しい価値観を届けたい」という思いを込めました。それを体現する第1 弾プロダクトが、スニーカーの原点を彷彿させるフォルムの革製スニーカーです。ソールに歩行アシスト用カーボン材を使用し、革製でありながらスニーカーのような歩きやすさを実現。表と裏には丈夫で足馴染みの良いカンガルー革を採用しています。販売はセミオーダー形式。1モデルにつき通常の約10 倍となる152サイズのフィッティングサンプルを用意しているので、左右それぞれでベストなサイズを見つけていただくことができます。
――靴の修理を行う「ハドソン靴店」だけでなく、「HUDSONS」のような新たな試みを行われている背景とは?
靴職人の徒弟制度を復活させたいんです。昔は靴職人を目指す者は師匠のもとで働きながら学び、一人前になれる職業訓練制度がありました。しかし年々、靴職人を取り巻く環境は厳しくなり、靴職人になる夢を諦めてしまう若者も多いのが現状です。「ハドソン靴店」が独自に開発した靴を製造、販売し、その靴が壊れてしまったとしてもうちに修理を依頼していただければ、靴はまたお客さまと一緒に人生を歩むことができる。その循環を生み出すビジネスモデルが構築できたら、靴業界再興の一助になるはずだと信じています。
「ハドソン靴店」をひとつの拠点とし、ジャンルの異なるプロフェッショナルを育て、超一流が揃う職人集団のように成長させていきたいんですね。日本の製靴技術は世界一。けれど世界中の誰もが知っている日本のレザーシューズブランドはひとつもありません。名だたるラグジュアリーブランドのような立ち位置を、「ハドソン靴店」という屋号で確立するのが僕の夢です。
――すべての取り組みは繋がっていて、未来を見据えた大切な歯車のひとつとなっているのですね。
とはいえ僕は“ミスター・ネガティブ” なんです。何かをする時、まず悪い方を考えてしまう。高校卒業後に3浪し、大学を中退、専門学校も中退なんて、世間的にはかなりちゃらんぽらんな人間ですよ。だけど父親に「過去は変えられないけれど、過去のイメージは変えられる。お前が一生懸命頑張って成功すれば、世間は過去をマイナスにとらえない。『やっぱり普通じゃないヤツはすごいな』と思ってくれる。だからそうなれよ」と言われたんです。その言葉はずっと僕の根っこにありますね。父親は誰よりも尊敬している人です。
――素晴らしいお父さまです。最後に、村上さんにとって「PLOTTER」とは、どんな人間像だとお考えでしょう?
時代が変われば、価値観も変わります。ですから先人たちと違う僕なりのやり方で、靴業界をより良く発展させていきたい。10年、20年先を見据え、計画し、行動していける人が、「PLOTTER」なのではないかなと感じています。
【村上 塁 ・ Shoemaker】
専門学校を中退後、ハドソン靴店初代の佐藤正利氏、孤高の靴職人である関信義氏に師事する。その後、浅草の靴メーカーに底付師として勤めたのち、2011年ハドソン靴店を継承。全国から、断られた修理や満足のいかない修理などを一手に引き受け、現在に至る。その他、60年以上に渡る靴修理店としてのノウハウを詰めこんだオリジナルコバインク「HUT」を皮革業界に向けて販売している。
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