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現代の生き方のヒント
「PLOTTER MAGAZINE」
[Interview No.014]

さまざまな世界において活躍する「PLOTTER」の行動力は創造性に溢れています。

「PLOTTER MAGAZINE」は、彼らの考え方や価値観を通して、過去から今までの歩みをたどり将来をポジティブな方向に導く変革者たちを応援します。

私たちが創るツールと同じように、ここに紹介する「PLOTTER」の物語が、みなさんにとってのクリエイティビティのヒントになれば幸いです。

14人目となるInterview No.014のPLOTTERは、光伸プランニング 代表の原 壯さんです。

 

「つくりたい」という思いに応えるため、
いかなる努力も惜しまない。
新たな道は、そこから拓かれていく。

 

「一人でも多くの『つくりたい』に応える都市型工房であること」。これは原壯さんが代表を務める光伸プランニングのヴィジョンだ。光伸プランニングの創業は1981年。当時の仕事は広告や看板の印刷業務が主で、職人による手作業が中心であったという。原さんは26 歳の時に父が起こしたこの会社に加わり、2012年に2代目として事業を継承した。
現在、東京都渋谷区神宮前にある150 坪ほどの工房兼オフィスには最新鋭の印刷設備が揃い、これまで培ってきた経験、技術、柔軟なアイデアを掛け合わせながら、クライアントの期待以上のアウトプットを提供している。事業内容の項目には「サイン、ディスプレイの企画・制作・施工/屋外広告、交通広告の企画・制作・施工」とあるが、実際の業務は実に幅広い。外部デザイナーと協業したプロダクトブランド「PANAMA」の展開、イルミネーションやレーザー加工、空間装飾、3Dプリント技術の導入など、“印刷会社” の枠を超えた多種多様なものづくりを行なっている。すべては「つくりたい」に応えるため。高い視座をもつ原さんの取り組みは、常に一歩先を進んでいる。

 

――光伸プランニングを継ぐことは、子どもの頃から意識されていたのですか?

父から「会社を継げ」と言われたことは一度もなく、特に意識したことはありませんでした。ただ高校生くらいから会社を手伝っていた影響もあってか、将来はものをつくる仕事に就きたいと考えていたんです。父のように自分が携わったプロジェクトが街の一部になるような仕事がしたいと思い、大学卒業後は大手総合印刷会社に就職。主に商業印刷物をつくる情報コミュニケーションという部署に配属されました。

――さまざまなプロジェクトに携われそうな部署ですね。

ええ、希望通りの部署ではあったのですが、想像よりもはるかに会社の規模が大きくて。そのうち自分がつくった印刷物が人の手に渡る確率の少なさに気付いてしまうんですね。たとえ1000 万部刷ったとしても、誰かに届くのは1、2%程度。なんだかむなしくなってくるというか、同じ“つくる” 仕事でも、必要な人に必要なものを届けられることがしたいなと考えるようになっていました。
そんな時、父が倒れてしまったんです。お客さまのオーダーメイドで空間やサインをつくる父の会社が、まさに自分がやりたいことに近いんじゃないかなと感じはじめていた時期だったので、このタイミングで退職しようと決めました。

 

――そして光伸プランニングに入社された。

そのまますぐ光伸プランニングに入ったわけでなく、光伸プランニングが親会社として出資したマジックタッチジャパンという会社の設立に参画し、14年ほどここの仕事をしていたんです。マジックタッチジャパンはフランスに本社を置くマジックタッチグループの日本法人で、屋外広告専門の広告代理店でした。マジックタッチジャパンで受けた仕事を、光伸プランニングで制作・施工するという流れだったので、僕が営業して仕事を取ってきさえすれば、あとは安心して任せられます。しかし広告業界なんて全く知りませんし、スタッフは僕一人。誰も仕事を教えてくれませんから、当時はそれを武器に自分が仕事をしたいと思う企業さんへ、ガンガン電話をかけていましたね。ほんと鉄砲玉のように(笑)。

――なぜそこまで思い切った行動ができたのでしょうか?

その頃の光伸プランニングは“下請けさん” という位置付けで、僕はそのポジショニングを変えたかったんです。なので、まずはマジックタッチジャパンとして、従来の販路とは異なる仕事を開拓していこうと考えました。結果、銀座4 丁目のビルラッピング広告や、アディダスジャパンさんの『SKY COMIC PROJECT』など、さまざまなプロジェクトを受注。ありがたいことにブランドさんやメーカーさんと、直接やりとりできる関係性を築くことができました。
光伸プランニングの代表を継いだのが2012年、2014年にはマジックタッチジャパンと事業統合しました。根底にある思いは、光伸プランニングが下請けから脱却すること。だとするならば光伸プランニングの名前で、ダイレクトに仕事をいただいた方がいいと考えたんです。

――光伸プランニングの代表に就任された時、どのような決意をされましたか?

会社を継ぐ立場であった自分に、カリスマ性や創業者ならではのパッションなどはありません。しかし光伸プランニングには、僕にない能力をもっている人がたくさんいます。だからこそ彼らがその能力を発揮できる環境を整えようと考えました。ターニングポイントになったのは代表就任後、光伸プランニングとマジックタッチジャパンを統合した時ですね。そこで改めて会社としてのヴィジョンや今後進むべき方向性を考え、自分なりの覚悟が決まりました。

ちなみに倒れてしまったという父は、もともとエネルギーに満ち溢れた人で、いまでもめちゃくちゃ元気です(笑)。僕が代表に就任した翌日から一切会社に来なかったんですよ。代表を退いても経営に口を挟んでしまい、失敗するケースってよく聞くじゃないですか。それを知ってか、父はあえて来ない。父の選択は本当にすごいなと思います。

――お父さまがお元気とのこと、安心しました。光伸プランニングのヴィジョンについてお聞かせください。

僕たちの強みは、必要な人に、必要なものを、最高のクオリティでお届けすることです。当初は「一人でも多くの『つくりたい』を形にする都市型工房」と言っていて、あくまで“形” にこだわっていました。でも最近、「一人でも多くの『つくりたい』に応える都市型工房」に変えたんです。ものをつくるだけでなく、ノウハウや技術を伝えることも、僕らの役割なのかもしれないと感じるようになったんですね。
会社の行動指針のひとつに「人も、技術も、設備も、心強い存在になる」とあるのですが、僕らはお客さまから頼られる存在でありたい。そのために最新の設備を整え、技術力を高め、知識を深めていく。そうすればさまざまな「つくりたい」という思いに、応えられる会社でいられるのではないかと考えています。

――「都市型工房」とは?

恵比寿にあった会社を移転しようとなった時、人、情報、アイデアが集まる場所にいた方が、よりお客さまの思いに応えられると思ったんです。渋谷に移ってからものすごく来客が増えましたよ。アクセスがいいからなのか、みなさんサンプルの確認や受け取りに来てくれるんです。やっぱり直接ものを見ながらお話した方が、伝えやすい部分もありますしね。また打ち合わせスペースに置いてある素材や技術サンプルを見ていただくことで、新しいアイデアも生まれています。

 

――光伸プランニングでは、2012 年から2018 年まで「モノにプリントする」実験プロジェクト「MONOPURI」を行い、このプロジェクトから誕生したプロダクトブランド「PANAMA」を展開するなど、画期的な取り組みも行われています。

「僕がやりたかった」というのはもちろんですが、やはり事業の幅を広げるための施策でもありました。受注制作だけだと、いつまでたっても下請けから抜け出すことはできません。会社の発展や技術力の向上のためには、自社から発信していく必要があると考えたんですね。
「MONOPURI」はさまざまなデザイナーさんと商品開発を行うプロジェクトだったのですが、みなさんが非常にチャレンジングなアイデアをもってこられるんです。羽ペンにグラフィックを印刷する「PHOENIX」や、ピンバッチにインクを数十回プリントすることで文字が立体的になる「凸pins」など、どのプロダクトも本当に難しかった。「PANAMA」はターポリンメッシュという素材の表裏に異なる柄を印刷したバッグやポーチなのですが、これも難儀しましたね。これまでやったことのない表現の依頼ばかりでしたが、うちのスタッフはあきらめることなく懸命に取り組んでくれたんです。「MONOPURI」によってかなり鍛えられましたし、下請け気質の脱却に大きく機能しました。

――「MONOPURI」は高い技術力があってこそ実現できたプロジェクトだったのですね。いま新たに挑戦していることはございますか?

立体物の案件や相談が増えてきたこともあり、2 年ほど前から3Dプリント技術の分野に力を入れています。イメージがそのまま形になるので、空間装飾での可能性を感じますね。しかし造形物が増えるほど、廃材も増える。その解決策として、ゴミ問題をクリアにするプロジェクトも遂行中なんです。
2021年1月からスタートした「サスケ」というプロジェクトなのですが、プラスティックでつくった造形物を溶かしてまた違うものに成型したり、生分解性プラスティックを採用して土壌に還したり、3D プリント技術を応用して循環型の素材が生み出せないかなと試行錯誤を重ねています。展示会やポップアップショップのためにつくった什器を一度使ったら捨てるという時代は、近い将来終わりを告げるはず。すべてを再利用することはできなくても、せめて10%、20 % だけでもゴミを減らせたらと思うんですね。ものをつくっている以上、つくる側としての責任を果たさなければなりません。

――サステナブルな社会の実現に寄与する素晴らしいお取り組みですね。最後に、原さんにとって「PLOTTER」とは、どんな人間像だとお考えでしょう?

自分が動きやすい環境を、自らつくっていく人。現状に不満があってもそれを環境のせいにすることなく、自分で自分の立ち位置を構築できるというか、そういうマインドをもっている人なのではないでしょうか。存在意義を高めるための環境をつくろうとすると、いろんな人が手を差し伸べてくれたり、創造性が生まれたりする。それによって新しい道が切り拓けるのだと思っています。

 

原 壯・ Koshin Planning CEO

大手印刷会社勤務を経て、屋外広告を専門とするマジックタッチジャパン(株)の設立に参画。現在は光伸プランニングの2代目として渋谷区に都市型工房を構え、サイン・ディスプレイ等の制作施工業務を行っている。

HP http://www.koshin-p.jp