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現代の生き方のヒント
「PLOTTER MAGAZINE」
[Interview No.015]

さまざまな世界において活躍する「PLOTTER」の行動力は創造性に溢れています。

「PLOTTER MAGAZINE」は、彼らの考え方や価値観を通して、過去から今までの歩みをたどり将来をポジティブな方向に導く変革者たちを応援します。

私たちが創るツールと同じように、ここに紹介する「PLOTTER」の物語が、みなさんにとってのクリエイティビティのヒントになれば幸いです。

15人目となるInterview No.015のPLOTTERは、マリンバ奏者の山田あずささんです。

 

マリンバは七色の質感をもつ旅人
楽器特有の既成概念を打ち破り、
多様性を追求していく

 

マリンバは木製の音板をマレットと呼ぶバチで叩いて演奏する、鍵盤打楽器のひとつだ。4~5 オクターブと音域は広く、優しく豊かな音色が特徴といえよう。山田あずささんがマリンバと出合ったのは学生時代。以降山田さんはひたむきにマリンバに取り組み、自身の演奏活動に加え、アーティストサポートや楽曲制作など、多岐に渡るフィールドで活躍をしている。
山田さんが奏でるマリンバの音色を耳にすると、さまざまな情景が目に浮かんでくる。薫風にそよぐ麦畑、山粧う里でののどかな賑わい、陽光に照らされて映える雪の白、曲ごとに異なる多彩な表現はまるで魔法のようだ。言葉を紡ぐときは笑みを絶やさず、瞳の奥に音楽と真摯に向き合う実直な人柄が、時折ふと顔をのぞかせる。山田さんは何を思い、マリンバを弾き続けているのか。

 

――山田さんは北海道・富良野のお生まれだそうですね。

はい。10歳で関東に引っ越したのですが、北海道での経験は強く胸に残っています。私が住んだのは富良野をはじめ旭川や美瑛など、自然豊かな街でした。緑の中を走りまわったり、カエルをたくさんつかまえたり、川で目一杯遊んだり、当時を思い出すといまでもインスピレーションが湧いてきます。

――幼い頃から何か楽器を習っていたのでしょうか?

3歳から10歳まではピアノを習っていました。だけど自分に向いていなくて。高等専門学校ではブラスバンド部に所属しましたが、運動部よりも興味があったからという軽い気持ちでした。

――普通科の高校ではなく、高等専門学校に進学されたのですね。

中学3年生のとき、美術の先生になりたいなと思い、普通科の高校から美術大学を目指すよりも、受験という競争のない高専でのびのび学んだ方が自分に合っているのかなと。高専ではビジュアル情報工学科を専攻し、グラフィックデザインなどを勉強しました。

――マリンバとの出合いも高専でのブラスバンド部ですか?

そうです。ピアノは譜面を読むのが苦痛でしたから、打楽器なら譜面はないだろうと思ったんですね(笑)。最初はドラムを選んで人並み以上に練習をしたものの、おもしろいほど上達しなくて。それでマリンバを演奏してみたところ、自分が思っていたよりも自然に弾くことができたんです。マリンバは自分の適性に合っていたのでしょうね。

――適性と同時に、楽しさも感じられた?

いえ、マリンバが楽しいと思えたのはそれから15 年以上の鍛錬を積んでからです。それまでは辛さの方が大きかったです。ただもっと上手になりたいという気持ちははっきりとありました。私はその明確な意思を、ないがしろにしたくなかったので、高専時代からいずれ音楽大学に進学しようとは決めていました。とはいえ音大の受験は難関で、マリンバの先生による個別指導を受けていない私には、さらに厳しいものとなります。両親も心配しますので、高専卒業後は吹奏楽団をもつ広告代理店へ就職をしました。

――働きながら音楽活動も続けられる環境は、ご両親を安心させる意味でも理想的なのかなと感じます。

でもこの広告代理店は1 年ほどで退職をしてしまいました。というのも企業の吹奏楽団ですと演奏することも業務の一貫になるので、プレーヤーとしての自由がほとんどききません。このままだと音楽が嫌いになってしまうと感じたのが、辞めた一番の理由ですね。退職後は週に3~4回レッスンに通い、26 歳で桐朋学園大学音楽学部カレッジディプロマコースに入学しました。専攻はもちろんマリンバです。

――高専時代に掲げた「音大で学ぶ」という目標へ向けて、努力を重ねていらしたのですね。

マリンバはピアノほど有名な楽器ではありません。よく「マンドリンと違うの?」とか、「この楽器で何が弾けるの?」とか、楽器についてのご質問も頂きます。皆さんにもマリンバの良さを知っていただくために、自分はマリンバでどのような音楽をやるべきなのか、ものすごく葛藤しました。そうした中で辿り着いたのは、「マリンバはこういう楽器です」と限定しないこと。「マリンバはこういう楽器です」と決めてしまう方が楽ですし、完成度も上がっていく。だけどマリンバの可能性や多様性をお伝えすることが、プレイヤーである私の使命です。作っては壊しての繰り返しですから、失敗も少なくありません。でもそれが私の選んだ道。失敗しながらでも、追求していこうと考え、その中で皆さんに聴いていただく機会も積極的に作っていこうと思いました。

そのためには基礎が必要です。基礎がなければチャレンジすらできない。登山家が装備を一切持たず、丸裸で山へ登ったら死んでしまいますよね。それと同じく、私にとっての装備は、音大で素晴らしい先生方から基礎をしっかり学び、楽譜の読譜力や解釈、演奏技術を一定のレベルまで高めていくことでした。

――桐朋学園大学音楽学部ではマリンバ界のレジェンドと称される安倍圭子先生に師事されたとか。

安倍先生からはさまざまなことを教わりましたが、とくに印象的なのは挑戦すること。現在よりもマリンバに市民権がなかった時代、安倍先生は多彩な奏法で表現の幅を広げ、マリンバのための楽曲やコンチェルトを多数発表し、海外の名だたる音楽家たちのコラボレーションや楽器の開発など、独奏楽器としてのマリンバの地位を高められてきました。安倍先生からの教えを通じ、自分がマリンバに対して抱いていた既成概念は、すべて覆されたといっても過言ではありません。

学生時代には、お世話になった海外トップクラスの舞台公演を招聘していた企業やプロデューサーたちとの出会いにも大きな影響を受けています。当時、実際に演奏を聴いて頂く機会にも恵まれ、私は張り切ってマリンバを弾きました。演目はすべて安倍先生が手がけた楽曲でした。公演後に感想をうかがったところ、「20代のプレーヤーが70代の方の作品をトレースし、喜んで演奏している感覚が信じられません。そんな感覚は死んだ方がいい」と仰ったんですね。この言葉のおかげで、「マリンバはこういう楽器です」と決めてしまうのではなく、私なりのマリンバの魅力を最大限引き出すために、学びを止めず、表現の可能性を探求し続けていこうと、自身の在り方を認識することができました。

――さきほど「マリンバを楽しいと思えたのは15 年以上を経てから」とのお話がありましたが、何かきっかけがあったのですか?

フリージャズのビッグバンド、渋さ知らズオーケストラの不破大輔さんとご一緒したことが契機になりました。不破さんは「自由に、好きにやってください」と仰る(笑)。音楽をやっていると「ここまでやると、崩れるからやりたくない」という一定のラインがあり、どこか潔癖になってきます。でも不破さんと演奏しているとそのリミッターが外れ、すごく楽しかったんですよ。音楽は自由で立体的なものなのに、私は平面ばかり見て、小さなマス目に収めようと躍起になっていた。不破さんは音楽を楽しみ、みんなで分かち合う世界へ導いてくださった方なんです。
ビブラフォンを演奏するようになったのも、不破さんとお会いしてからです。マリンバは音の余韻が続かないため、マレットで音板を叩き続けなければなりません。これはメリットでもありデメリットでもあって、フリージャズやポップスを演奏するにはマリンバだとちょっと難しい場面もあります。ビブラフォンは金属製の音板をもつ鍵盤打楽器なので、音が長く続き、ゆっくりと消えていく。このように音がひたすら伸びる楽器をプレイできることは、渋さ知らズオーケストラに参加するうえで必須でした。音色の違いをひと言で表すなら、マリンバはコロコロと愛らしい音、ビブラフォンは少し大人な雑味あるテイストを伝えられる、といった感じですね。現在は山田あずさとしてのソロ活動や自身のクインテット、また、長くバンド活動しているnouon (ノウオン) のほか、アーティストのステージサポート、国内外のフェスティバルの出演や楽曲制作など、さまざまな場所で演奏させていただいており、マリンバとビブラフォンはステージに応じて使い分けています。

――新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響で、通常の演奏活動が困難になってしまったかと思います。しかしそれを機に「四季を彩る音楽絵本」の制作をスタートされたそうですね。

とくに2020 年はどう活動したら良いのか解らない複雑な状況でしたので、苦しくて、孤独で、心がえぐられる思いでいました。そんなとき、落語家の立川志の輔師匠に「山田さんは富良野生まれでしょう。もっと自分の足元に目を向けてもいいんじゃないかな」と言われたことを思い出したんです。私の中にはすでにアイデアや素材がたくさんあり、それをフォーカスしていなかっただけなのかもしれないと気がついて。それで四季をテーマにした音楽と詩と絵で創る短編動画を制作しようと考えました。春分の日、夏至の日、秋分の日、冬至の日と、それぞれの季節の日を待つ約20日間、毎朝つくる2分間程度の曲を絵にのせて、Instagram にアップすることにしたんです。毎日こんなにもいろいろなことを感じているんだなと気づいたのは、「書く」ことによってでした。2020 年から日記をつけていて、そこに思いついたアイデアも記しているんですね。書くことで大風呂敷を広げたような状態になって、それがすごく面白いんです。

――山田さんはご自身をどのようなプレーヤーだと分析されますか?

道を外れ続けるプレーヤーですね(笑)。演奏活動は冒険なんです。音楽のおかげで海外ツアーや武道館など、さまざまなステージに立ち、たくさんの方に支えて頂きました。それらはとても大切な経験になっています。

――なるほど。では山田さんにとっての、マリンバを演奏することとは?についてお聞かせください。

いつも新しい発見があります。私がまだ知らないサウンド、質感、空間力を日々提供してくれる。マリンバは奏法や奏でる音色もステージや曲によってさまざまで、「別人ですか?」というくらい幅広い表現ができるのも魅力ですね。マリンバは七色の質感をもつ旅人のようだなと感じています。

――最後に、「PLOTTER」とはどのような人間像だとお考えでしょう?

道行く人。「PLOTTER」は空想を具現化するために、力を発揮する「道程」のようなツールだと感じているので。私もそのひとりだと思っています。

 

山田 あずさ・ Marimba Playe

鍵盤打楽器奏者 北海道富良野出身。桐朋学園大学音楽学部カレッジディプロマコースにてマリンバを専攻、世界的なマリンバ奏者である安倍圭子、浜まゆみの両氏に師事。演奏活動の他、子ども向けワークショップ、アーティストサポート、レコーディングなど様々なフィールドを経る。 現在、WUJA BIN BIN、渋さ知らズ オーケストラ、自身のバンドnouon(ノウオン)などで活動し、多数の作品に携わる。2021年、山田あずさクインテットライヴ『Azusa Yamada Quintet Live at Shinjuku PIT INN』をハイレゾリリース。現在は、世界的なパンデミックの影響で演奏活動が困難になったことをきっかけに、日々の季節の移ろいを描いた『四季を彩る音楽絵本』を制作中。

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