現代の生き方のヒント
「PLOTTER MAGAZINE」
[Interview No.016]
さまざまな世界において活躍する「PLOTTER」の行動力は創造性に溢れています。
「PLOTTER MAGAZINE」は、彼らの考え方や価値観を通して、過去から今までの歩みをたどり将来をポジティブな方向に導く変革者たちを応援します。
私たちが創るツールと同じように、ここに紹介する「PLOTTER」の物語が、みなさんにとってのクリエイティビティのヒントになれば幸いです。
16人目となるInterview No.016のPLOTTERは、Restaurant L’ARGENT シェフの加藤順一さんです。
技術にストーリーを加え、新しい料理を生み出す。
「美味しい」の先にある「楽しい」を、
皿のうえで表現していく。
明治、大正、昭和、平成、そして令和と、文化の中心地として時代を牽引してきた東京・銀座。この華やかな街を一望する銀座四丁目交差点のビルの7 階に、モダンフレンチレストラン「ラルジャン」はある。フランス語で「銀」の意味をもつ店の名は、「銀座に新しい価値を伝えたい」という思いから付けられたという。
シェフを務めるのは加藤順一さん。日本、フランス、デンマークの名だたるレストランで研鑽を積み、帰国後、シェフに就任したレストラン「スブリム」では、3 年連続でミシュラン1 つ星へと導いた人物だ。フランス料理と北欧料理の確かな技術をベースに、独自の感性を通して生み出される料理の数々は、驚きと創造性に満ち溢れ、ひとたび口に含むと、官能的なまでの美味しさがゆっくりと広がっていく。加藤さんはどのような道を歩み、いまラルジャンの厨房に立っているのだろう。
――料理の世界に興味をもたれたきっかけは何でしたか?
中学生の頃から、自分でケーキを焼いたりしていたんです。それで将来はお菓子屋さんになりたいなと考え、高校卒業後は大阪の辻調理師専門学校に入学しました。最初からお菓子に絞るのはやめておこうと思い、フランス料理を学ぶことにしたんです。
――辻調理師専門学校2年次は同校のフランス校へ留学をされたとか。
ええ。パティシエはお菓子だけしかつくりませんが、フランス料理の料理人はお菓子もつくれるのが基本。それならば料理人になろう、フランス料理の本場で学んでみようと思ったことがきっかけでした。
フランス校はリヨンにあり、最初の半年間は学校で料理や座学をみっちり勉強、残りの半年間はフランスのレストランに派遣され、現場で学ぶというプログラム。厨房での会話はすべてフランス語ですから、料理と語学を日々必死に勉強していました。勉強のためにお金の許す限り、三つ星や二つ星のレストランで食事をしていたのですが、帰国する直前、日本人シェフがパリに店を出していたことに気がついたんです。行ってみたらフランスで食べたどこの店よりも美 味しくて。
そのお店は「ステラ マリス」という、吉野健シェフのレストランでした。吉野シェフと話をさせていただくと、東京の「芝パークホテル」内で新しい店を開く予定だと仰る。それで帰国後に面接をさせてもらい、「レストラン タテル ヨシノ 芝」で働かせていただけることになったんです。
――フランスでの出会いが、料理人としてのファーストキャリアにつながったのですね。
吉野シェフのレストランでは、グループ店を含め計8年間在籍していました。スーシェフを任せられるまで吉野シェフの料理をつくっていましたので、僕の料理の基礎的な部分はすべて吉野流です。吉野シェフにはこれからの料理人が大切にするべきことなど、多くを学ばせていただきました。そのひとつが「ストーリーの重要性」。「なぜこの料理が生まれたのか、なぜこの食材を組み合わせたのかといった、語れる背景が必要なんだよ」というこの考えは、いまも大事にしています。
――次のステップとしてどちらに向かわれたのですか?
まずはフランス・パリへ渡り、3つ星のレストラン「アストランス」の厨房に入りました。アストランスのパスカル・バルボシェフの異名は「火入れの魔術師」。「ベストな状態の料理を、ベストなタイミングで提供する方が、お客様も満足するはずだ」と、「メニューはおまかせのコースのみ」というスタイルを最初に始めた方でもあり、メニューを白紙で出すんです。旅先の国で見つけた食材も取り入れるなど、新しいことにも積極的に取り入れていて、火入れの技術に加え、非常に勉強になりました。
ビザの期限は1年でしたので、帰国の日が近づくにつれ、ふと考えたんです。アストランス出身の日本人シェフは、すでに3人が業界内で名を馳せている。自分が商品ならばこの時点で4番煎じ。もうひとつ武器が必要だと。そんなときに手にしたのが、デンマークのレストラン「ノーマ」のレネ・レゼピシェフによる初のレシピ本、『ノーマ―北欧料理の時間と場所』でした。
自然の形を不自然な形にしていくのがフランス料理。しかしレゼピシェフの料理は、自然の姿をありのままに皿のうえで表現しており、とてもカッコよかった。本にはこれまで見たこともない食材や調理法、皿のうえの風景が広がっていて、デンマークに行ってみようと思ったんです。それでコペンハーゲンの二つ星レストラン「AOC」で働くこととなりました。
――フランス料理のシェフとしてキャリアを重ねてきた加藤さんにとって、デンマークの「ニュー・ノルディック・キュイジーヌ(新北欧料理)」はどのように映りましたか?
フランスのシェフは油絵のように重ねて描くイメージですが、デザイン大国と呼ばれるデンマークのシェフはデザイナーなんです。芸術的でナチュラル、斬新な表現にも驚かされました。
――帰国後は東京・新橋のレストラン「スブリム」(現在は麻布十番に移転)のシェフに就任されました。日本ではどんな料理を提案していこうとお考えに?
料理人は3年周期を目安にレストランをわたるのが一般的で、在籍した店の名前によって「何を学んできた料理人か」が分かるようになっています。僕の場合は吉野シェフのもとでフランス料理の基礎を、フランスのアストランスで火入れの技術とモダンフレンチを、デンマークのAOC で当時世界の最先端といわれた北欧料理を学んできました。この経歴の分かりやすさは意図したもの。ですので日本では、フランス料理と北欧料理の技術を取り入れた料理をつくっていこうと思いました。
スブリムのオープンは2015年。当時、日本で北欧料理を提供するレストランはほぼなかったので、スブリムではニュー・ノルディック・キュイジーヌをベースにした料理で勝負しようと考えました。デンマークから食材を取り寄せ、現地と同じような食材を組み合わせるなど、「これが最先端の北欧料理です」と明快に伝わるように。
ただ2年ほど経ったある日、デンマーク時代の同僚から「日本のレストランであるにも関わらず、デンマークと同じ料理を提供しているようでは魅力がない。君のフィルターを通した北欧料理を表現するべきだ」と言われ、ハッとしたんです。そこからですね。日本らしさや自分のアイデンティティを重んじるようになったのは。ニュー・ノルディック・キュイジーヌのマニュフェストには、「地産地消」や「食で季節感を表現する」といった日本の食文化にも通じる要素があります。この考えにも強く共感していました。
――「日本」というのは、現在、加藤さんがシェフを勤めている東京・銀座のレストラン「ラルジャン」でも、ひとつのテーマになっているそうですね。。
ラルジャンのコンセプトは「日本から世界に発信するフレンチ」。スブリムから継続し、使用する食材はほとんどが日本産です。コロナ禍前は食材を探すため、日本各地によく足を運んでいました。
僕はけっこうあまのじゃくなところがあり、みんなが扱っている食材をあまり使いたくないタイプなんです。日の目を見ていない食材を美味しく調理したら、それはうちのオリジナリティになる。ディナーコースで提供している「高原コーチン」もそのひとつです。「名古屋コーチン」は有名ですが、同じ名古屋種の鶏でも「高原コーチン」はほとんど知られていませんよね。一般的な名古屋コーチンは短期間で成長するオスが主流で、100日~120日程で出荷されます。ですが高原コーチンは190日前後の長期飼育を行っており、かつ肉質が柔らかく、臭いも出ないメスだけを出荷。ラルジャンでは300日前後まで飼育期間を伸ばした、上位種の高原コーチンを使用しています。
――いまのお話を聞いただけでも、素材への徹底したこだわりが感じられます。
ラルジャンのおまかせコースのメニューには、料理名ではなく食材のみを記載しています。それは素材の魅力を生かした料理がつくりたいから。フランス料理は加工の料理なので、安いイチゴでも高いイチゴでも、同じように美味しいジャムがつくれてしまうんです。しかし素材の質が根本的に違うのであれば、調理のアプローチはおのずと変わってくる。 素材ときちんと向き合っていれば、素材を生かす仕立てができます。なぜこの季節の、このメニューに、この食材を使い、この調理法を用いたのか、とお客様にすべてご説明させていただくことを、常に意識しています。
僕はラルジャンでしか食べられない料理をつくっていきたい。茶人・千利休が詠んだ和歌が語源となった、「守破離」の概念がありますよね。型や技を守る「守」、自己流を取り入れて発展させる「破」、新しい独自のものを確立する「離」という意味ですが、これは料理にも通じます。既存のテクニックを組み合わせ、ストーリーを加えると、自分だけのクリエイティブな料理が生まれていく。新しい料理をお届けしていくためにも、最近は自分を見つめ直す時間がとても増えています。いま考えているのは、出身地である静岡県・掛川で栽培されているお茶を取り入れた料理。実家がお茶畑をもっているので、そのお茶を使ってみたいんです。
――お茶という素材が、加藤さんの手にかかるとどんな料理に変わるのか。いまからとても楽しみです。
僕は「美味しい」と「楽しい」のいいとこ取りをしようと思っていて。「分子ガストロノミー」と呼ぶ液体窒素を使った料理(-196℃で食材を急速冷凍させる調理法)は、化学実験のようで確かに楽しいんです。だけどやればやるほどパフォーマンス色が強くなり、美味しさからは遠ざかってしまう。でも僕は料理をより一層美味しくするために、液体窒素を使いたい。液体窒素をはじめとする北欧で学んだ独創的な料理の数々は、あくまで引き出しを増やしだだけに過ぎません。「美味しい」のは当たり前。「楽しかった」と感じていただける料理をつくり続けていきたいですね。
――最後に、「PLOTTER」とはどのような人間像だとお考えでしょう?
誰もやらないことをやる人、誰も通らない道を歩む人、なのではないでしょうか。
【加藤 順一・ Restaurant L’ARGENT】
静岡県出身。 タテル・ヨシノを経て渡仏。 パリの三つ星アストランス、デンマークの二つ星AOCに勤務。 帰国後、スブリムのシェフに就任。一つ星を獲得。 L’ARGENTオープンに伴い、シェフに就任。