現代の生き方のヒント
「PLOTTER MAGAZINE」
[Interview No.019]
さまざまな世界において活躍する「PLOTTER」の行動力は創造性に溢れています。
「PLOTTER MAGAZINE」は、彼らの考え方や価値観を通して、過去から今までの歩みをたどり将来をポジティブな方向に導く変革者たちを応援します。
私たちが創るツールと同じように、ここに紹介する「PLOTTER」の物語が、みなさんにとってのクリエイティビティのヒントになれば幸いです。
19人目となるInterview No.019のPLOTTERは、アートディレクター/グラフィックデザイナーの泉 美菜子さんです。
作家の思いに共鳴し、デザインに落とし込む。
そうして完成する、感性をまとった本たち。
自身の個性はおのずと現れる。
漫画家に憧れた少女は、さまざまな出会いと経験を経て、ブックデザインの道にたどり着いた。「自分の手の中にある本には、誰にも奪えない自由がある」と、幼少期から変わらぬ思いを胸に抱き、出版レーベル「PINHOLEBOOKS」を設立する。
泉 美菜子さんは、作家の声に耳を傾け、作品の世界観に寄り添い、独創性に富んだ作品集をつくり上げる。そこにあるのは、デジタルでは決して所有できない普遍的な価値。ただただひたむきに、懸命に。デザインには泉さんの生きる姿勢そのものが、刻み込まれているようだ。
――幼少期に抱いた、将来の夢は何ですか?
小学生の頃は漫画家になりたかったんです。漫画雑誌の『りぼん』とか『週刊少年ジャンプ』とか、いつも読んでいましたよ。日記を4コマ漫画でつけていて、先生が学級新聞で4コマ漫画の連載もまかせてくれたんです。だから調子にのって、いっぱい描いていました(笑)。
小学校卒業後は中高一貫の学校に進学したのですが、中学3年生の段階でどの大学の何学部を受けるのかといった進路指導があったんですね。私はお金の流れにも興味があったので、経済学部かなと考えていたのですが、親に止められたんです。「興味のある分野に進んだ方がいい。絵が好きなんだから、とりあえず美術予備校に行ってみたらどうか」と。
――ご両親は泉さんの得意分野を伸ばそうとされたのですね。
自分としては、絵で食べていくのは現実的でないと思っていたんです。でも両親が応援してくれて。美術予備校では彫刻、工芸、油絵などいろいろな学科の授業があり、どれも器用にこなせたのですが、グラフィックデザインの課題だけ絶望的にできませんでした。
――しかし美術大学ではグラフィックデザインを専攻された。
できないからこそ、好奇心が湧いたんです。でも美大に入る前はアートの方が好きでしたし、グラフィックデザインは学んでいくうちに惹かれていった感じですね。私は武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科へ入学し、2年生に上がるタイミングで東京藝術大学のデザイン科に入り直しているのですが、武蔵美では体系的にグラフィックデザインを学ぶことができたので、それによりグラフィックデザインをやりたい気持ちが芽生え、今につながっているんです。
大学の先生からグラフィックデザイナー・杉浦康平さんの存在を、教えていただいたことも大きかったです。杉浦さんは藝大で建築を学び、グラフィックデザイナーになった後に、ブックデザインを手がけるようになった方で、情報を視覚的に伝えるために実験的な手法をとられているんですね。犬が散歩中に受ける刺激を視覚的に表現したり、東京から各都市にたどり着くまでの時間で日本地図を構成したり、数値だけでは計り知れない情緒をデザインに盛り込んでいたりする。なかでも杉浦さんと編著者の松岡正剛さんが、7年の歳月をかけてつくりあげた書籍『全宇宙誌』には、とても影響を受けました。
グラフィックといえば広告デザインのことだと思っていた学生の私は、杉浦さんの仕事を拝見し、「グラフィックでこういうことをしてもいいんだ!」と衝撃でした。私は商業的なものよりも文化的なもの、さらに視覚化しづらいものをデザインに落とし込むことへ興味を抱いていたので、その受け皿が「ブックデザイン」にある気がしたんです。
――お話をうかがっていると、武蔵美はとても質の高い教育をされているように感じます。なぜ藝大へ入り直されたのですか?
武蔵美の教育は素晴らしく、とてもおもしろかったです。ただグラフィックの専科ゆえに学生の興味の方向が似ているため、就職活動や将来的な仕事において、どうしても競争しなければならなくなってしまう。同じデザイン科でもより幅広い分野の学生が在籍しているのと、やはり第一志望であった藝大で学んでみたい気持ちが強かったんです。
でも結果的にとてもラッキーでした。藝大は自由な校風なので、自ら動き出さなければ時間だけが過ぎていきます。逆をいうと、自ら動き出せば可能性を拡張できる場所。私は武蔵美でグラフィックデザインの基礎を学び、将来はブックデザインに携わりたいという決意が固まった状態で、藝大に入学できたので、行動が起こせたんですよ。私の意思は先生にも友人にも伝えていましたから、展覧会のポスターや個展のハガキのデザインを頼まれたり、紹介してもらったり。藝大でできたたくさんのアーティストの友人も、私の宝になっています。
―― 2015 年に芸大をご卒業され、隈研吾建築都市設計事務所に入社されたとか。
はい、グラフィックスタッフとして。隈事務所では建築のサイン計画や展覧会のポスターなどをデザインしていました。スタッフは設計に携わるメンバーがほとんどでしたから、新卒とはいえ即戦力として加えていただけたんです。サインは、誰に、何を、どこへ導くのか、と考えれば考えるほど奥深く、非常にやりがいのある仕事でした。隈研吾さんからも多くを学びましたが、なかでもプロジェクトの目的や意義、ターゲットを中心に据えたうえで、自身の表現をコントロールすべきだといった姿勢が強く心に残っています。
――隈研吾建築都市設計を退職された後に独立を?
その前にブックデザインの経験を積みたいと考え、2017年からアートディレクター・中島英樹さんの事務所で働かせていただくことになりました。入社して目の当たりにしたのは、中島さんのアートディレクターとしての凄まじい才能です。独創的なアイデアが次から次へと湧いてくる方で、凝った装丁の本のつくり方や印刷所への仕様書の書き方、クリエイティビティとコストのバランスなど、勉強になることばかり。何より本をつくる仕事は、本当に楽しかったんです。
――泉さんがブックデザインの仕事に就かれたときは、すでに出版不況に陥っている最中だったかと思います。それでもなぜ、ブックデザインの道へ進まれたのでしょうか?
小さい頃から漫画が好きだったことと、結びついているのかもしれません。本という自分の好きなものが、手の中にあることに喜びを感じるんです。たとえば近年主流の電子書籍では、「不適切な表現があったため一部修正しました」となると、以前の表現がもう読めなくなってしまいますよね。版元や著作者サイドによって、見せる見せないといったコントロールをされたくない。誰にも奪えない自由が、本にはあるんです。
あとは、プロダクトとしてのモノへの執着でしょうか。私はこれまで何かを描くとき、「色や質感を観察しなさい」と教わってきました。だから観察するクセが身についてしまい、モノの特徴に気付くと嬉しくなる人間になってしまったんですね(笑)。それも少なからず関係していると思います。
――なるほど。そのお気持ち、とてもよく分かります。また、泉さんは中島さんの事務所に在籍中の2020年、出版レーベル「PINHOLE BOOKS」を設立されました。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響で、仕事が一時的に落ち着いたんですね。出版レーベルを立ち上げたい思いはずっとあったので、少し時間ができたことを機に。私はアーティストや写真家の友人が多いのですが、出版不況であるがゆえ、なかなか作品集を出せない状況になっています。でもお金さえあれば本はつくれる。だから作家と私が半分ずつ出資し、赤字が出ない仕組みをつくれば、本が出版できると考えました。作家の手元には本が残り、私には実績が残ります。互いのメリットが成り立つんですよ。
「PINHOLE BOOKS」は、ピンホールカメラを由来としています。私がつくりたかったのは、写真とアートに特化した出版レーベル。写真の原点はカメラオブスキュラと呼ばれるピンホールカメラですし、西洋絵画史でも度々登場しているので、この名を付けました。2021年にデザイナーとして独立したのですが、事務所の名前も「PINHOLE」にしています。
――「PINHOLE BOOKS」から初めて出版されたのは、写真家・川村恵理さんの写真集『都市の肌理 touch of the urban skin』でした。とても美しい本ですね。
この本は新型コロナウイルス感染症が蔓延する直前の東京・渋谷の一端を収めた写真集になっています。本をしっかり開けるつくりにしたかったので、強度のある糸かがり綴じを採用しました。ハードカバーの上製本はコストがかかるのでフランス装に。フランス装は大きめの紙で糸かがり綴じした本をくるみ、背以外の3 方を内側に折って仕上げる製本方法です。通常、折った部分は糊付けするのですが、軽やかさを演出するため、この写真集ではあえて接着していません。「都市の中にも粒子感や経年変化といった、感情移入できるテクスチャーが存在している」という意味合いのテキストを川村さんが書かれていたので、そこからインスパイアされた色を、見返しと糸かがりの糸に使用しました。表紙に付けた箔は、虹色に光る銀箔です。これは光をとらえた川村さんの写真と連動させたイメージですね。
――作家さんの思いや作品との親和性を感じさせるデザインは、常に意識されているのですか?
そうですね。写真集だととくに、作家さんの作品を表紙にもってくるものが多いと思うんです。コスト的な理由もあるのですが、そういった装丁にしないのであれば、中身と関連性をもたせないと、写真を用いない意味が感じられません。本屋さんに並んだとき、思わず手に取ってしまうような装丁にすることは、いつも心がけています。
――デザインを手がける際、泉さんご自身の作家性とのバランスの取り方についてお聞かせください。
どんなデザインをしたとしても、自分らしさは自然と現れてくると思うんですね。自身の作家性は意識せずとも、作家さんの思いをきちんと聞き、一生懸命デザインに取り組めば、私っぽい作品に仕上がるのだろうなと感じています。私だけの思いでつくったら、作家さんの理想とは異なるものになってしまうはず。だから思いを最大限すり合わせることが大切なんです。そうすれば、お互いにとっていい作品集になりますから。作家さんの作品を観た瞬間、インスピレーションが湧いてくるんです。
――今後、やってみたいお仕事はありますか?
現在「PINHOLE」としては、「PINHOLE BOOKS」のプロジェクトのほか、建築のサイン計画や依頼された書籍のデザインを中心に行っています。建築と書籍の仕事では、関わる人の人数も、スピード感も、ターゲットも、デザインの考え方もまるで違うので、思考を行ったり来たりできるのが癒しになっているというか(笑)。だからありがたいことに、やりたい仕事をやらせてもらっているんです。そのほかのジャンルでいうと、紙で使うものをデザインしてみたいですね。カレンダーや一筆箋など、自分が日々使っているものを。
――最後に、「PLOTTER」とはどのような人間像だとお考えでしょう?
いい聞き役、でしょうか。こちらの話を汲み取り、受け入れてくれ、時として手を差し伸べてくれる。そんな存在のように感じています。
【泉 美菜子・ Art Director, Graphic Designer】
神奈川県生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科中退、東京藝術大学デザイン学科卒業。その後、隈研吾建築都市設計事務所でグラフィックスタッフ、中島デザインでアシスタントデザイナーとして勤務。2020年に自身で企画・デザイン・販売まで行う写真とアートの出版レーベル「PINHOLE BOOKS」を設立。書籍は通販や全国の一部書店、催事などで購入できる。2021年からは「PINHOLE」名義で主に書籍、ロゴ、広報物、建築サインなどのデザインを行う。現在東京を拠点に活動している。
PINHOLE
http://pinhole-db.com/
@izmi__m
PINHOLE BOOKS
https://pinholebooks.stores.jp/
@pppinholebooks